翻訳チェッカーという仕事
私は13年前にMTSにチェッカーとして入社しました(※MTSではチェッカー職を「校正」と呼んでいますが、この記事ではより一般的な名称である「チェッカー」を用います)。その後、翻訳作業にシフトしたり、研修・指導などの業務を担当するようになったりしましたが、今でも一定の割合でチェッカーとしての業務を行っています。今回は自らの経験も踏まえつつ、翻訳業界の一翼を担っている「チェッカー職」についてお話したいと思います。ㅤ
チェッカー職とは
ご存じの方が多いと思いますが、いちおう簡単に説明しておくと、チェッカーとは翻訳者さんが作成した訳文を顧客に納品する前に、その内容をチェックして適宜修正するポジションをいいます。チェッカーがどこまでチェック・修正するかは翻訳会社によっても異なると思いますが、MTSでは訳抜けや誤訳、用語の統一といった翻訳内容から、規定の書式や参考資料(ある場合)への準拠、図表の確認、体裁など、確認すべきポイントがチェックリストにまとめられており、それに従ってチェック業務を行っています。ほかの翻訳会社さんでも、同様のチェックリストを作成されていると聞きます。
チェッカー職の形態
チェッカーは社内にいる場合と、社外のスタッフである場合があります。社内チェッカーの場合、翻訳者さんの手配などを行うコーディネーターと同じ方が兼務している会社さんもあるそうで、以前に別の会社でそうした形でチェッカーをしていたスタッフがMTSにもいます。
チェッカーは基本的に社外スタッフのみという会社もあるようですが、MTSは創業以来一貫して社内チェッカーを置いてきました。私が入社した当時は、MTSにおけるチェッカーの在職期間は2年前後で、一定の経験を積んだ後に翻訳者として独立したり、製薬会社などの翻訳に関連する部門に転職したりする方が多かったのですが、その後は長くチェッカー職を続ける方が増えて、現在では社内チェッカーの8割以上が5年以上の経験者です。また、転居などで離職された方で、社外のチェッカーとして引き続きお仕事をしてくれている方も複数いらっしゃいます。
チェッカーの重要性
翻訳者さんの集う掲示板などで、「チェッカーに誤った修正をされた」という声を目にします。確かに私も後輩のチェックした原稿を見て、そうした修正を見つけることがあります。ですが、チェッカーが翻訳者さんが作ってくれた訳文を悪くするだけの存在であれば、翻訳会社もわざわざチェッカーを置いたりはしません。「岡目八目」という言葉のとおり、客観的な視点で訳文を精査することで、翻訳者さんが気づかなかったミスや誤りに気づき、訳文の品質を向上させるという大切な役割をチェッカーは担っています。翻訳会社にとって顧客に提供する訳文の品質を担保するための手段として、チェッカーは欠かせない存在なのです。
もちろん正しい翻訳を誤った内容に修正してしまうというのは避けるべきことですが、人間がする作業なのでどうしてもある程度は生じてしまうと思います。そうした修正が生じる可能性をできるだけ小さくする必要はありますが、仮にある文書の中に修正による誤訳があっても、トータルでそれを補うだけの適切な修正ができていれば、それは価値のあるチェック作業だと私は考えます。
※この記事をご覧になっている翻訳者の方が、不適切な修正内容のフィードバックをMTSから受け取った場合は、たまたまご自分のところに「(修正の)はずれ」が来てしまったのだと思い、憤りをぐっと抑えていただければと思います。そして、もしお心に余裕があれば、修正の誤りをご指摘いただければ、MTSではチェッカーの成長機会と考えて大変ありがたく受け止めます(ほかの翻訳会社さんがどう受け止めるかはわからないので、他社さんにも同様に対応することを推奨するものではありません)。
チェッカーの勧め
翻訳者を目指す方にも、すでに翻訳者として活動されている方にも、一度はチェッカーを経験することをお勧めします。なぜなら、チェッカーには大きな2つのメリットがあるからです。
多くの文書に触れられる
MTSにご登録いただいている翻訳者さんの1時間当たりの平均翻訳枚数は1.5~2枚です(「1枚」はMTSなどで用いている翻訳数量の単位で、和訳の場合は翻訳後の文字数400文字が1枚、英訳の場合は翻訳後のワード数が200 wordsで1枚としています)。これに対して社内チェッカーの作業スピードは1時間当たり6枚となっています。ですので、翻訳をする場合と比べてチェッカーは3~4倍の文書に触れることができるのです。
英語力、日本語力と同じくらい翻訳においてモノをいうのが、文書に触れた経験の量だと私は考えています。これはすなわちコンテクストのインプットに当たるもので、単語一つを解釈するにしても、その趣旨を正確に捉えられるかどうかに背景知識の有無が大きく影響します。
また、内容的な面でも、翻訳者さんには特定の種類の文書の依頼が集中してしまうことが珍しくありませんが、チェッカーの場合、治験実施計画書のような王道的なものから、契約書や手順書のような付帯的なものまで担当することになるので、幅広い経験を積むことができます。
こちらのメリットは、主に学習中の方向けのものです。
他人の訳を見ることができる
翻訳をしていて「ほかの人だったら、この原文をどう訳すだろう」と思うことはないでしょうか。特に産業翻訳では、自分以外の人が作った訳文を見る機会がなかなかありません。しかし、チェッカーは日々ほかの人の訳文を読むことができます。単語の意味の捉え方や、訳文の構成の仕方など、自分の頭の中からは出てこない解釈や方法を発見するチャンスがチェッカー職にはあるのです。私も、いまだに「へぇ、これもありなんだ」と語義の解釈に気づかされたり、「お、これはいいな」と訳し方に感心させられたりすることがあります。
こちらは学習中の方にも、すでに翻訳をされている方にも意味のあるメリットだと思います。
おわりに
以上、簡単ですがチェッカー職について紹介いたしました。
チェッカーは翻訳物の品質を左右する大切な仕事です。今回の記事で、チェッカーという職種に興味を持っていただけたり、チェッカーに対するみなさんの理解が深まったりしたようであれば嬉しく思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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