患者向けと医療従事者向けの表現をどう使い分ける?読み手で変わるメディカル翻訳

医療翻訳用語の基礎

翻訳された文章を読む「相手」を想像すること、これは翻訳のお仕事で重要な要素です。たとえば、painという単語一つを取っても、患者さん向けの文書では「痛み」と書く方が伝わりやすい場面が多く、専門家向けの文書では「疼痛」と表記する方が正確です。このように、「誰に読んでもらう文章なのか」によって選ぶ語彙や文体は大きく変わります。メディカル翻訳では特に、専門性と分かりやすさのバランスを取ることが難しく、悩む学習者も多い部分ではないでしょうか。
この記事では、同じ英文でも「患者向け」と「医療従事者向け」でどのように訳し分けられるのか、具体的な例文を使って見ていきます。文脈や読者の視点を意識することで、表現をどのように調整できるのか、一緒に探っていきましょう。

①:Administer normal saline intravenously.

ヒント:ここではintravenouslyの訳し方を工夫する必要があります。「静脈を通して直接血液中に投与する」という意味です。

翻訳例:

患者向け→「生理食塩水を点滴で投与します。」
点滴は静脈内投与の一種で、患者さんが日常的に聞き慣れている表現です。専門的な「静脈内投与」よりイメージしやすくなります。

医療従事者向け→「生理食塩水を静脈内投与する。」
治験実施計画書などの専門的な文書では、簡潔な略語表記であるIVがよく使用されます。

②:Apply the ointment to the affected area.

ヒント:動詞のapplyは「付ける、当てる」という意味があります。さらにaffected areaは、病気や怪我によって影響を受けている部分のことです。

翻訳例:

患者向け→「傷のある部分に軟膏を塗ってください。」
ointment(軟膏)は患者さん向けにはより易しい表現が適する場合があります。文脈に応じて「塗り薬」などと置き換えることができます。

医療従事者向け→「患部に軟膏を塗布する。」
affected area(患部)でも医療従事者向けとして十分ですが、疾患内容が明確な文書ではlesion site(病変部位)とすることでより専門的で正確な表現になります。

③:The tumor was considered to be primary to the pancreas.

ヒント:primaryは「一次の、最初に発生する」という意味があります。

翻訳例:

患者向け→「腫瘍は膵臓からできた可能性があります。」

医療従事者向け→「腫瘍は膵臓原発性と考えられた。」
「原発性」とは、がんが最初に発生した臓器を指します。たとえば、大腸から最初に発生したがんは「原発性大腸がん」と呼ばれます。

④:Pneumonitis has been reported as an adverse reaction to the study drug.

ヒント:専門的な疾患名は患者さんが具体的なイメージがしにくく、原文に寄り添う範囲で補って訳出するのが望ましい場合もあります。

翻訳例:

患者向け→「治験薬の副作用として肺臓炎(肺の炎症)が報告されています。」
疾患名の後に括弧書きで具体的な症状や日常的に使われる表現を補足することも検討できます。例)abdominal distension「腹部膨満感(お腹が張った感じ)」、erythema「紅斑(皮膚の赤み)」※補足を加えた場合は、原文からの逸脱とみなされないよう、訳注コメントを適宜入れる方がよいでしょう。

医療従事者向け→「治験薬の副作用として肺臓炎が報告されている。」

おわりに

同じ英文でも、読み手が変わるだけで訳文は大きく変わります。とくにメディカル文書では、読者の専門性や状況に応じて語彙や文体を丁寧に選ぶ必要があります。近年ではAI翻訳も広く使われていますが、訳語のニュアンスや「どの表現が最も適切か」を判断できるのは、人による翻訳ならではです。
すぐに身につく技術ではありませんが、「この単語はこの読者にどう伝わるか」を意識して取り組むことで、表現の引き出しは確実に増えていきます。日頃から読み手の視点を持ち、訳語の選択力を磨いていきましょう。

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